「警官の血」の五重塔の炎上が話題になっています。
今日は、歴史を調査して、どんなロケがあるかを予測したいと思います。
少し多めの調査データですが、リンクではなくコピーしました。
重要な歴史的事実を、理解いただければと思っています。
「天王寺五重塔跡」の解説(台東区HPから)
谷中の天王寺は、元日蓮宗.長耀山感応寺尊重院と称し、道灌山の関小次郎長耀に由来する古刹である。寛永寺の開祖、天海が死んだ正保元年(1644)に最初の五重塔は完成した。この塔は明和9年(1771)目黒行人坂の火事で焼失し、19年後の、寛政3年(1791)に近江国高島郡の棟梁八田清兵衛ら48人によって再建された五重塔は幸田露伴の「五重塔」のモデルとしても知られている。総ケヤキ造りで高さ11丈2尺8寸(34.18メートル)は関東で一番高い塔であった。明治41年(1908)6月東京市に寄贈され、震災、戦災にも遭遇せず、谷中のランドマークになっていたが、昭和32年7月6日放火により焼失した。現存する方三尺の中心礎石と四本柱礎石などすべて花崗岩である。



台東区のHPから、写真をお借りして歴史的記録として掲載しますね(↑)
「五重塔が焼けたのは昭和32年7月でしたが、丁度、子どもの看病のため一晩中寝ないでおった時で、3時半頃でしたね。消防ポンプの音がしてびっくりして外へ出たんですよ
この辺は火事ってのがほとんどないんですが、見ると目の前にてっぺんが見えないくらい火の柱が立っているんで、見てて熱くていられないほどで、どこがどう火事なのか一瞬分かりませんでした。
そのうち五重塔が透き通って見えてきて、緑青のせいか青白く光り、その時はまるで、五重塔に魂があるようにさえ思えました。
ここは、上野消防の第7分団の管轄で、そこの小さなポンプも出たんですが、中を消しに入っていって、その時足につまづいて死体があると分かったんです。
洋裁の縫子とその監督との不倫精算の心中で、洋裁師しか使わないという金の指貫きで身元が分かったのです。」
『古老がつづる 台東区の明治.大正.昭和 高尾重子氏』 より
それでは、
この五重塔について、考察します。
「総ケヤキ造りで高さ11丈2尺8寸(
34.18メートル)は関東で一番高い塔であった。
。。。、震災、戦災にも遭遇せず。。。」
心中で炎上したんですね(ーー;)
地震や東京空襲を逃れたのに残念です、ケヤキ造りの五重塔!あ~~!
次に高さです
皆さんがご存知の世界遺産「奈良の法隆寺」の国宝・五重塔は、31.5mです。
同じく世界遺産「奈良の興福寺」の国宝・五重塔は、50.8mです。
「奈良の室生寺」の国宝・五重塔は、16.1mです。
ということで、木造では「中」の高さでした。
深谷消防署の許可を取るのは大変だったはずですよ。
流石、深谷は「映画のまち」ですね
(●^o^●)
深谷にいたら、どこからでも絶対見えますよ(前代見物)
ドラマでここまでやるんですか、本当に!!!
中嶋さん、埼玉県の県木のケヤキ造りでよろしくお願いします。
家内 「佐々木譲さんが『画像は天王寺駐在所と天王寺五重の塔オープン・セットでの撮影風景。』と書いて。。。『この日の撮影を最後に、この五重の塔は深谷に移され、そこで炎上シーンの撮影となるという。』とも書いてあります。」
ハリボテでも五重塔炎上はすごくなりそうです
(●^o^●)
http://www.sanspo.com/geino/photos/080922/gnj0809220433008-p3.htm
(↑、上が無い(>_<))
家内 「まだまだ暑い(埼玉は残暑)のに、
熱くなるロケですか(ーー;)」
良かった!ルポしないね(*^_^*)
家内 「
遠くから望遠でお願い!」
ファンのカンパで、
ヘリをチャーターしましょうか(うそ)
ないしょ漫才
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