今日は水曜日、 定休日です。
秋の風情をブログで。。。秋は少し哀しい!
奈良の元興寺(がんごうじ)です。
世界遺産なのに大した事ないと思う人も。。。 (涙)
境内には、
写真奥に見える極楽房と、左に見える
僧坊が残っているだけです。
この建物は、飛鳥から平城京に遷都した時、
飛鳥寺(法興寺、日本書記に587年建立とある日本最古のお寺)を
移設したときの生き残りです。(平城遷都710年、元興寺建立718年)
考古学的?、日本建築史的に貴重です。
すこし、ウンチクを♪^^
瓦に着目!(↑プチィと拡大)
茶色の瓦(日本最古)は
飛鳥寺から運んできたモノです。
(この瓦は1400年使っている?ことになります)
当然、建物の柱や梁(ヒノキ材)も移設した時のものもあります。
この当時から日本はリサイクル、リユースの達人です。
この辺で、と言いたいんですが(^_-)-☆
すいません、もう少しウンチクを♪^^
この当時の製材方法を知ると理解がしやすいと思います。
製材はノコギリでするものと思いますよね。
しかし、ノコギリは鎌倉時代ぐらいからで飛鳥、奈良時代にはありません。
木目に割りを入れ材木を割いていました。
そして、その後は
チョウナと
ヤリガンナ(?)
(チョウナは私の知っている少し前の大工さんは使っていた ヤリガンナはナギナタのようなもの)
チョンナ→チョウナ訂正しました
すなわち、製材はすごく大変な仕事でした。
ちなみに、硬いケヤキが使われ始めたのが、ノコギリの普及と重なります。
追記(2009,12,19)
どうして、
都を移動したときに、お寺の建物ごと移築したのでしょうか?
もしも、
移築が本当にすべて宗教的に大事なら、
礎石も移設したはずです。
明日香に行くと畑の中から石が出て来ています(??)
自分は工程を短縮するために石は残したのだと思います。
瓦や木材を解体している間に、
新しい場所で礎石工事を始めていたのだと考えます。
時代は違いますが、
現代も、材木を、もっと素早く、再利用できる知恵が求められています。
材木の組み方、はずし方を高い強度で合理的にしたピン金物工法は、
今の時代のリユースの知恵かも知れません。
やはり、最後は仕事の話になってしまいました。(謝)
この地に移った後も、このお寺に平安はありませんでした。
当時、
東大寺より広い大きなこのお寺は、
今、街中に残る礎石からのみ知ることが出来ます。
(歴史のウンチクは各自でよろしく)
小さな境内に集められた石仏の元の場所はだれも知りません。
いろはにほへどちりぬるを
諸行無常の。。。
私訳
(こんなにきれいに咲いて、匂いのいい花も、
散って散って(少笑)しまうのですね、私も、、、)
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